今日は改めて
自己紹介をさせていただきます!
【潜在意識ディープクレンジング】マスターセラピスト
中村えみと申します。
私は、服飾&グラフィックデザイナーを経て、
潜在意識を扱うセラピスト&
宇宙と人をつなげる施術者として
これまでに1000人以上の方のサポートをさせていただいています。
【今までの経緯】
2社目に就職した
広告デザインの会社での激務から体を壊し、自分の人生を変えるキッカケをもらいました。
今現在まで約20年間
法人経営を続けながら、本格的なスピリチュアル講座や、大規模起業塾・コーチング塾に所属して、学びと実践を継続しています。
ヒーリングを主にやっていた当時、
●1回のヒーリングで、あっという間に理想の状態になる方もいれば、
●ヒーリングと宇宙とつながる施術を両方しても、良くならないとおっしゃる方もいて
「その差は何だろう?」
と考えました。
■人生をどのように設定したらうまくいくのか?
■どうしたらスイスイと人生が流れるように良い方向へ向いていくのか?
誰にでも効果のある、再現性のある方法はないのか?
と、自分の人生体験もおりまぜながら、研究してきました。
そして、
ご本人にハッキリと体感があり、人生が「上向く実感」がつかめる
潜在意識を深くクレンジング・浄化・統合する方法を取り入れたところ
「自分への罪悪感の根っこが消えたら仕事が来るようになった」
「1回のセッションで旦那さんがやさしくなった」
「会社の売り上げの桁が変わった」
「子供の夜尿症が治った」
「いろいろやったけど、やっと前向きになれた」
「自分のYouTubeチャンネルが爆伸びしている」
「会社の嫌いな人が激変した」
「この人生でやるべきことがわかった」
「家族への罪悪感をクレンジングしたら収入が上がった」
「ずっとやりたかったことで稼げるようになった」
などなど
成功や繁栄を止めていたストッパーを消去統合したことで、人生ロードをスルッと切り替えて、ステージアップされる方ばかりになったのです。
しかし
私は小さいころから自己否定が強く、家庭内と学校の両方でいじめにあっていました。
「早くこの世から消えたいという願望」を強く持っていました。
そんな暗黒の少女時代にも、光が差したことがありました。
中学2年の時の同級生の女の子の一言が、私に衝撃を与えたんです。
彼女は「早くおばあさんになって死にたい」と言う私に対してこう言いました。
「私、死にたいと思ったこと、一度もないよ。」
死にたいと思ったことがない人が、この世にいるんだ!
私は自分の価値観がぶっ壊れた気がしました。
生きてていいんだ!
それを当然のこととして、生きてる人がいる!
彼女と私の違いは何なんだ!?
この問いを立てた時が、私の最初の転機だったのかもしれません。
20代前半で勤めた広告会社は今で言うブラック企業で、体力にまかせ、ユンケルを飲み飲み働きまくった結果、
帯状疱疹が目の近くで発症してしまい、お医者さんには、これ以上体を無視すると失明すると言われました。
退院して会社を休んでいる時に、今度は立ち上がれなくなるメニエール氏病というものになってしまいました。
布団から出られない状態だったので、考えるのは「これからの自分の人生について」でした。
何日も何日も、布団の中で不安と共に考えました。
真剣に自分と会話して出た答えは、これでした。
「一生楽しく続けられて、自分を活かせる仕事につきたい!」
心が決まると、体はどんどん回復していきました。
すっかり元気になり、友達に誘われて行ったバリ島で、人生の分岐点ともいえる2人の重要人物と出会いました。
1人は魂の目覚めにつながっていた日本人旅行記者です。
もう1人は、天職と運命の人につながっていた、下駄をはいた日本人おじさん。
最初の重要人物、日本人旅行記者に頼まれた取材の仕事で、私はメキシコに行くことになりました。
メキシコシティーの日本人宿で出会った、見た目:仙人から「魂が出たがっている」と言われました。
そして、日本に帰ったら読め!と言って、何冊かの本のタイトルを聞かされました。
・呪術師と私
・アウトオンアリム
・クリエイティブヴィジュアライゼーション
当時はYouTubeも無い時代。
それらの本を読んでみるうちに、目に見えない、とてつもない何かが存在している
そしてその唯一無二の大いなる何かが、本当の私の源(父であり母である)という考え方に、なぜだかとても惹かれ、心が奥底から安心し自分の人生に明るい日差しが差し込んできたのです。
仕事が途絶えていた私は、収入のない状態で、本を読みふけり、瞑想生活に突入しました。
お腹がすいたら、安く買ってきた小麦粉を水で溶いて、焼いて食べてまた瞑想、という生活を続けました。
たくさんのスピリチュアル(当時はニューエイジと言われていた)本を読み、自分の心の中のいらないものをクレンジング・浄化し、癒していきました。
心は希望にあふれていましたが、自分を活かす天職をどうやって探したらよいのかもわからないまま、生活費を稼ぐために広告会社に就職するも1年で会社が解散に。。。
広告を作るという手に職がついたので、思い切って個人事業を立ち上げました。
バリ島で出会ったもう一人の重要人物、下駄おじさんとの、「東京で会おうね!」という約束が本当になり、東京で会うことになりました。
その時に下駄おじさんが連れてきた人がガラス作家さんでした。
一生楽しくできる自分を活かす仕事を探していた私は、興味深々でガラス作家さんの活動を聞き、しまいには7日後に行われる新島でのガラスワークショップに同行させてもらう約束を取り付けていました。
そのワークショップでガラスに魅せられた私は、ガラスを作って活動してみたい!と思い、早速ガラス講座へ申し込みました。(そのガラス工場で働いていたのが、私の運命の人、今の主人です)
(とはいえ、3回デートを断られ4回目にやっと、ご飯を食べることができたというお話は、また別の機会に)
ハッピーな結婚をした私は、そのままハッピーロードを行くつもりでした。
ところが、毎晩こわい夢を見てしまい、自分の泣き声で目が覚める毎日がはじまってしまったのです。
結婚した彼が、浮気をして出て行ってしまう夢
結婚直後から、毎晩リアルな同じ夢を見るようになってしまったんです。
「私がこんなに幸せでいいはずがない」
「こんな幸せが続くはずがない」
「ひとりぼっちになるに決まってる」
そんな思いが、日中もずーっと頭に渦巻いていました。
つらかった。
本当に苦しかった。
振り返れば約1年半、この生活は続きました。
この時期は自分の本当の心の声を無視し、エゴの声を頼りに生活していた時期でした。
私はこの時期、完全に「幼いころに採用してしまった否定的な思い込み」に、からめとられていたんです。
・自分には幸せを受け取る価値がない
・幸せになったら怖いことが起こるのではないか?
・私と一緒にいたら主人は不幸なのではないか?
そんな声ばかりが鳴り響いて、主人には暗い顔ばかりしていました。
主人も
「なんでそんなに悪い事ばかり考えるの?」と呆れた顔をしていました。
主人がいなくなってしまうイメージが、徐々に鮮明になり、まるでテレビドラマのように頭の中で展開し始めました。
私は自分の心の中に存在している2つの気持ちが同居している
ことに気づき、愕然としたんです。
●1つは、主人を失ったらつらい、さびしい、悲しいという気持ち
●もう1つは、いっそ主人がいなくなってしまった方が、ほっとするのかも、、、という
相反する2つの気持ちでした。
心の中に住む天使と悪魔のように、2つの気持ちが存在していました。
今振り返るとわかるのですが、もし私が、幼少期からため込んだ否定的な思い込みを、ずっと持ち続けていたら、つまりあの時、体を壊した時の瞑想生活で、自分の心を整えたり、親への憎しみを捨てていなかったら、
主人は本当に去っていたのかもしれません。
しかし私は自分の心をクレンジング・浄化し、大いなる源とつながるように努めていた時期があったから、
「こっちじゃない!」と方向を変えることができたんです。
私は自分自身のクレンジング・浄化を再スタートしつつ、ほかのスピリチュアル的な心の整え方をもう一度、本格的に学び直しました。
レイキ
ヒーリング
リコネクション
クリスタル
マインドブロック解除
カードリーディング
潜在意識書き換え
量子力学
心理療法
クリスタルリモートヴューイング
コーチング
チャネリング
これらを使って浄化が進んでいくと、徐々に浮上しはじめ、ゆっくり眠れるようになり、心も体も回復してきました。
子供も産まれて、また前を向いて、希望を抱けるようになった私は、主人と共に、事業を立ち上げたいねと本気で話し合っていました。
(息子も今はすっかり大きくなりました)
イメージの力を最大限に使うために、望む未来をビジョンボード(宝地図)を作り部屋のよく見える壁に取り付け、リズム言霊を勝手に作ってずっと口ずさんでいました。
ビジョンボード(宝地図用の画像づくり)
少しずつ貯めたお金で、中古の溶解炉を買い、自宅の駐車場で、週末ガラス工房をはじめました。
しかし、スタートしたものの、販売の知識も経験もない私は、根底から自信を無くすことになります。
かわいいだけでは作品は売れないし、売れても全く利益が取れない状態でした。
何のために頑張ってるんだろう、、、
こんなはずじゃなかった、、、、
センスないのかな、、、
ましてや、一生楽しく自分を活かしつつ、、、なんて、
一握りの芸術家ができることなんだ、、、
そんな時、追い打ちのように、主人のガラス工場が廃業することになりました。
自宅にガラス工房を開いていたので、思い切ってそのまま独立という形になりました。
不安だらけでした。
子供もまだ小さいし、、、。
でも、やるしかない!崖っぷち状態でした。
ところがはじめてみたら、自宅にガラス工房を作っていたことで、ガラス工場にいた生徒さんたちが、続々と私たちの工房に習いに来てくれたのです!
そのおかげで独立当初から、暮らしていけるようになりました。
これはキセキだ!!!とよく二人で叫んだものです。
私はこの時、何となくつかみかけていました。
「どういう風にすると
問題が切り開くのか?」を。
とはいえ、事業というのは不安定で、心が落ち着く暇がありません。
私は新しい1つの願いを、ビジョンボードに貼り、こうなったらいいな~と気持ちで感じてイメージしました。
それが
「ヒット商品を出す」
です。
このころ私は、ガラス工房の仕事以外に、個人で宇宙とつながる施術(リコネクション)とヒーリング(リコネクティブヒーリング)の提供をはじめていました。
多くの方に提供させていただき、多くの経験を積みました。
そして願望実現を邪魔しているものの正体が、はっきりと見えてきたんです。
願いが叶うのを邪魔しているものを取り除く、すばらしいセラピーを取り入れて、ヒーリングのクライアントさんに提供をはじめた矢先、
衝撃の出来事が起こりました。
母がある朝、突然言葉が話せなくなってしまったんです。
一生懸命、声を出そうとしても、「せ」「す」しか出せない状態。
体は普通に動いてるし、どこか悪いようには見えないのに、「せ」と「す」しか声が出ない。
母本人は、苦笑いのような、困ったような表情をしていました。
私は異変を感じ、すぐに救急車を呼び、病院へ行きました。
脳梗塞でした。
母は、時間が経つにつれ、体の半分がどんどん動かなくなっていきました。
この1年前から、父の認知症がひどくなってきていて、そのこともストレスになっていたのだと思います。
父は母が倒れたことが受け入れられず、とてもつらそうでした。
毎日父と二人で、母の病院へ通いました。
その間、主人と私がメインの仕事は、私が働けないことで、どんどん事業の売り上げが減っていきました。
でも、父をおいて仕事に戻るわけにはいかず、母に代わって今度は私が父を見守る役目となりました。
兄弟の助けを全く得られないまま両親を同時介護する状態になりました。
最初から両親の面倒は、私が看ると思っていたので、仕事との両立は難しく、どんどん体力が削られていきました。
生きていくことって、何でこんなに苦しいんだろう、、。
早く人生が終わればいいのに、、。
ネガティブな私は、こんな思いにとらわれながら、
私は両親のお金と向き合わなければならなくなりました。
母の入院費の支払いで父と話した時、父は全てを忘れていました。
通帳の場所、ハンコの場所、現金の場所、すべてを。
私と父で通帳を見つけ、銀行に出向き、ハンコの照合からやっていきました。
父は根がポジティブな人間ですが、母が倒れてからは落ち込みが激しく、自分がすべてを忘れてしまっていることも責めていました。
通帳の照合が1つ1つ終わるたびに、どうしてこんなにお金が無いのか?と、父も私も疑問を持ちました。
そしてとうとう、父も私も知らない借金が見つかったのです。
莫大な額の借金ではなかったのが幸いでした。
しかし父のショックは大きく、母に問いただしても、しゃべれない母を前に、悲しそうにしている父を見るのがつらかったです。
私は父のことを、この時までちゃんと見ていなかったことに気づきました。
「父という像」を見ていただけだったと、気づきました。
銀行を1件1件回っているとき、息子の高校受験の合格の知らせがあり、父と二人で大喜びしました。
息子には何も話していませんでしたが、家の事情を察したのだと思います。
息子は知らない間に志望校を「必ず受かる公立高校」に進路変更していました。
人と人として、気持ちをぶつけあって、泣いたり笑ったり、一緒に切なくなったりできた、父との数週間は、最初は暗いトンネルのように思えましたが、今はかけがえのない宝物です。
合格のお祝いに、不二家のケーキ屋さんの《見本のホールケーキ》を指さして「いくつでも買いなさい!」と言った父がかわいかったです。
(なぜなら、ケーキは予約用のハリボテだったから)
もちろん、父とは火花を散らしたこともたくさんありましたが、このころの私はすでに
潜在意識の中の
両親に対する
否定的な思い込みを
クレンジング・浄化していたので、
妙なスネた気持ちや、恨みや怒り、悲しみはもう、なかったんです。
事業の方はというと、毎日母の病院に通いつめつつ、父のこともやっていたら、仕事ができるわけもなく、どんどん売り上げが下がっていきました。
仕事への意識がおろそかになると、売り上げも下がっていくんです。
どうしたらいいんだ!
そんな時、すっかり忘れていた、あの願いが叶う瞬間がきたのです。
「ヒット商品を出す!」
家族が大変な状態でも私たち夫婦は、商品の研究は続けてきました。
そして主人が製作をがんばっていた作品の商品化までこぎつけることができたんです。
今までやったこのないことばかりで、こわい!と思うチャレンジも何度も実行しなければなりませんでしたが、その都度、クレンジングで、
できないと思ってしまう心のストッパーを浄化しながら、進みました。
その商品の販売をはじめたとたん、メディアに取り上げられ、注文がどんどん入り始め、あっという間に全国展開となり、売り上げは回復していきました。
願いは忘れたころに叶う
本当にそうです。
まるで紙吹雪のように、です。
つかもうとすると、するりと、すりぬけてつかめない。
でも、、、
もうやめた!と、つかむのをやめた時、肩の上にのっかっていることに気づく。
そんな感じです。
私たちの事業は、一気に売り上げの桁が変わり、人も増やすことができるようになりました。
母が退院する前に、父が他界しました。
父は不思議なことに、亡くなる1週間前から自分で遺影を用意したり「向こうへ行く」と言ったり「向こうへこれを持っていく」と言って何かを準備している様子でした。
私は何となく予感を感じていました。
その後、退院してきた母と、主人と息子4人で、大変ながらも、仲良く暮らすことができました。
私は母の介護をしながら、これはいつまで続くんだろうと思う一方で、母の世話をすることが、生きがいに近いものになっていました。
半身の麻痺がある母の体を支えながらの介護は、体力的に厳しいものでしたが、本当に一番怖かったのは、朝、母がちゃんと息をしててくれるかを確かめる時です。
朝、亡くなっていたらどうしよう、、、と毎朝の目覚めの瞬間がとても怖かったんです。
息、ちゃんとしてる!
よかった!
1日のスタートが、毎日こんな状態でした。
【ビジョンボードに描いた新しい広い工房と家の夢が現実に】
主人と二人で夢見ていた広い工房と家のビジョンボードは、記入した目標の年がすぎても、叶う様子がなかったのですが、ある日、突然物件の話がとんとん拍子に進み、あれよあれよという間に工房と家が現実となりました。
私のようにネガティブでも不安持ちでも
こんなにイメージした夢が叶ってきたんだから
私の人生経験が、きっと誰かの役に立つはず!
あんなに自己否定して、死にたくて、
苦しい時代があった私だからこそ、伝えることができるはず!
大袈裟かもしれないけど、多くの人が、潜在意識にはびこっている否定的な思い込みを捨てたら、世の中がめちゃくちゃ明るくなると思うんです!
そして私の現時点での結論は、こうです。
人は思い描く願望は叶うようにできている
ただ、それを邪魔する否定的な思い込みがあるだけ
だからそれを取り除けば、どんどん願いは叶っていくし、自分では想像できなかった、スゴイことが起きてくる
壁にぶつかっても必ず助けが入るし
その一連のストーリーは
ハッピーエンドだ!
【最後に】
私は今、恵まれた環境で、大好きな家族と過ごし、最高のスタッフと仕事をしています。
自分を活かす仕事がしたい!そう思った時、すでにこの人生ロードを選んでいたのだと思います。
その道の上に
最高のパートナーがいて
すてきなお客様やスタッフがいて
自然に出会っていった。
そんな感じです。
人生では思いもよらないアクシデントが、突然やってくることもあるけれど、心にため込んでしまった否定的な思い込みをクレンジング・浄化していけば、
★自分を信頼し
★自分の人生を信頼し
★世界を信頼しながら
歩んでいける。
やりたいのに動けない
ビジネスが突破できない
許せない人がいる
いつもお金に困っている
罪悪感が抜けない
自分は価値がないと思ってしまう
パートナーとうまくいかない
孤独がこわい
自己否定が消えない
スピや、自己啓発をやりすぎて混乱している、など
そんな苦しい状態は、本当のあなたの姿じゃない!
と、私は伝えたい。
過去からの情報が今のあなたを作っています。
今、一歩踏み出せないとか、自己否定の気持ちがあるなら、あなたの成功や繁栄を止めているストッパーが存在しているだけです。
その否定的な思い込みを消去統合し、自分が輝き周りも輝かせるような人生ロードに次元上昇していただきたいと思っています。
本来の望みである人生ロードに移行することで、その道で待っていた、運命の仕事、運命の人、一緒に人生を歩んでいく人や事と、自然に出会っていくことになります。
私は、この人生ロードを次元上昇させる方法を、提供しつづけ、1人でも多くの方が、本来のご自身の光を発揮していただけるようにサポートしていきます。
【潜在意識ディープクレンジング】
マスターセラピスト
中村えみ